第二回チーム中越勉強会


7月23日、第二回チーム中越勉強会をながおか市民センターにて開催いたしました。

二回目のチーム中越勉強会には、新潟県震災復興支援課の元課長、丸山由明氏に講師としてお越しいただき、
「復興支援のキーワード~行政支援のあり方~」と題してお話をいただきました。

話の前半は、震災発生前夜から震災直後の混乱期までの話をドキュメンタリー風に語って頂きました。
震災が発生した平成16年10月23日は、折しも新県知事が就任する2日前、つまり前県知事の任期がわずか一日余りを残してという時でした。
そのため、県の災害対策本部も発足当初は平山知事の基に設置され、25日の午前零時をもって泉田知事に引き継がれると言うドタバタの中で
震災への対応が行われていたと言うことです。県の職員も震災の対応やら県知事交代に対する対応やらで、一時的ではあったものの大混乱に陥ったそうです。
そんな混乱期の中、当時市町村課の課長補佐であった丸山氏は、県庁にいても始まらない、とにかく現場に出なければ何も出来ないとの
思いから上司を説得し、被災地へ出られたそうです。もともと長岡出身で土地勘があったことや市町村課で役場の職員と顔みしりだったと言うこともあり、
山古志役場の機能回復の支援に当たられ、その後、震災復興支援課が出来ると同時に、そちらに移られたとのことでした。

後半は「復興支援のキーワード」ということで、「対話の三極構造」「忠実な翻訳者」「復興とは?分かんない」「重層的支援体制」
「ごったくのすすめ」という五つのキーワードについてお話しいただきました。以下にその要約を記します。

対話の三極構造
震災復興支援課でも当初は現場に行って被災者の皆さんの「何とかして下さい」「何してくれますか」といった声を聞くので精いっぱいだった。行政としてもやれることは限られているし、何をしたら良いのかもわからない状態であり、ともすると行政と住民とが敵対関係になってしまう。そんな構造を変えたのが第三者の存在だった。
両者の間に入って、横から「そうは言ってもさぁ・・・」などと言いながら、話を上手くつないでくれる。そのうちに住民と行政が敵対関係でなくなり、一緒に話が出来るようになった。住民からの声が「何とかしてくれから」「何かしてみよう」に変わってきた。「対話の三極構造」がそんな変化を生みだしていった。

忠実な翻訳者
地域から出てくる「何かしてみよう」という言葉をただ「そうですか」と聞くだけではなく、それをまた返して上げる必要だった。つまり「俺はこんなに困っているのだけれども、こうしてくれたらやれるのになぁ」そんな言葉を上手く役所の言葉に直して事業として作る。それが翻訳者。そして、そこに役所の意向をなるべく入れずに、言われた通り「忠実」に翻訳すると言うこと、それが「忠実な翻訳者」。こういった事業をどんどん作って、それを皆さんに示して事業化を実際にどこかで行う。これが口づてで広まっていき、見に来て、うちでもやろうということが起こって、復興の機運がここから加速度的に高まったのだと思う。

復興とは?分かんない
復興計画というローリングプランに基づいて復興を進めて行くことになった。ローリングプランと言っても、実際には復興ビジョンがある程度でほとんど白紙。つまり計画を作りながら走れと言うことで、行政にはとても酷なものだった。それでも最初は復興とはこういうものだろうと考えて走っていたが、途中であきらめた。「復興はこうあるべきだと考えるのは止めようと」「何が復興なのか分からないと」「いろいろなところでいろんなことが起こっているけれども、その先、5年後、10年後にどうなるかはまずは分からないところから行こうじゃないか」と、でもそんな風に走っていると小さな事だけれども、だんだんと復興の芽が見えるようになってきた。当時はそれを糧に走っていた。そして、今の時点で振り返ると、あの時想像していなかったことが沢山起きている。

重層的支援体制
当初、復興支援と言うのは個人プレーで、それぞれの人の顔で行っていた感があった。ただ、それでは広がりが持てない。その広がりを持たせるために作ったのが今の地域復興支援員制度だった。今回の復興支援の中で、現場から中間支援、行政、そしてNPOやNPOの連合体のようなものが重層的に支援を行っていた。それが今回復興の中の目玉なのではないかと思う。

ごったくのすすめ
だいぶ集落は元気になってきたが、まだ人口は減るばかりだし、もっと「元気を現金に」変えていく必要がある。そういう意味では、何万人を相手にするのではなく、二、三千人の特定の人を相手にする、つまり、二つ三つの地域との差別的なスペシャルな付き合いをしていくのがポイントになるのではないか、そういったことを続けて行くことによってそこの人たちが移り住むと言った事も出てくるかもしれないし、あるいは棚田で取れた米を全国に売り出すのではなくて、あんたたちのためにずっと俺達が作ると言った方が良いのではないかと思う。
「面倒くさくて嫌だったのだけれど復興と言うことがあったのでやってみたら、何か昔のお祭りが復活したぞ」とか、そういうことが起こってきた。要はまさに「ごったく」で、やってみたら楽しかったといったようなこと。それをお金につなげていけたらなというのが課題で、まさに支援員はそういったところをバックアップしていかなければいけないのではないかと思う。

講演終了後、勉強会参加者でワークショップを実施しました。ワークショップでは前回と同様に講演会を通して「聞いたこと」「感じた事」「出来ること」について、グループでシェアしていただきました。
次回、9月8日の第三回のチーム中越勉強会では、神戸から「中越・神戸足湯隊」の皆さんをお招きして、足湯を通した復旧・救援活動についてお話頂く他、長岡技術科学大学のボランティアサークルVolt of Nutsの皆さんや中越の学生勉強会の皆さんから、日頃の活動についての発表などもしていただく予定です。これまでのチーム中越勉強会とは若干趣向が異なりますが、多くの皆さんに参加していただけたらと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

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