第5回長岡災害ボラセン勉強会「災害時の障がい者支援を考える」を開催しました

第5回目の長岡協働型災害ボランティアセンターの勉強会は「災害時の障がい者支援を考える」をテーマに、ろうあ、内臓疾患、自閉症の当事者・関係者の皆さんをお招きして開催され、ボラセンメンバーの他に安全士会や行政、市議など計30名ほどの方々が集まられました。

災害時における要援護者支援は、災害支援を考える時に良く話題になるテーマではあるのですが、実際のところ、障がいをお持ちの皆さんが、災害時にどのような状況に置かれ、どのようなことに困られるのか、支援者側の私たち自身がよくわかっていません。
そこで今回の勉強会では、まず当事者の方々の声を聞き、そこから何か出来ることを考えようという趣旨のもと開催いたしました。

以下、発言の概要です。

長岡市ろうあ者福祉協会の前会長の小林さん

  • 情報が聴こえないため、緊急情報がわからずに対応が遅れる。
  • 避難所でも支援物資配布の情報がわからないため、何の支援かもわからずに並ぶようなこともある。
  •  行政に相談に行っても、時間外などで手話通訳者が窓口にいないと情報が入って来ない。
  • 聴覚障がい者の場合、一見して障がい者だとはわからないために支援が遅くなる。
  • 聴覚障がい者に対してどのような支援が必要か心配りをしていただけると助かる。
  •  コミュニケーションを取るには声を大きくしてもらっても聞こえない。筆談なら大丈夫。口を大きくゆっくり話してもらえると読み取れる。
  • 聴覚障がい者が一人でいると、気づかれずに支援者が離れてしまうケースがある。聞こえない人かもしれないとの気配りをしていただけると助かる。
  • 一人では電話が掛けられない。
  • 聴覚障がい者同士でも安否確認が難しい。メールなどで行う必要がある。

長岡地区腎臓病患者友の会連絡会会長の樋山さん

  • 聴覚障がい者同様に一見して障がい者とはわからない。
  • 通常でも市内の透析者の約半数が自力通院困難者
  • 災害時は投石施設に被害がなければOK。ただし、透析には大量の水(30ℓ/h)が必要で、東日本大震災の被災地では飲み水も十分に確保することが難しかったことから、透析患者に水を優先させることができなかった。
  •  避難所からも透析に通わなければならない。
  • 食べ物も制約有。リンやカリウムなどが命取りになる。
  • 災害時における病院との連携が必要。
  •  原発での避難時など、個々に避難するというのではなく病院単位、県単位で施設があるところに避難することが必要。

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NPO法人ピュアはーと(発達障がい児支援) 事務長の田中さん

  • 地域の方々に障がいの子どもがあることを知ってもらいたい。
  • 発達障害(自閉症・アスペルガー症候群)の特徴
    1. 想像力が弱い;先を読む力や場の空気を読む力が弱い
    2. こだわりの強さと変化への対応の弱さ
    3. 自分に声をかけられたことに気づかない・理解できない、困っていることを人に伝えられない。
    4. 感覚の過敏;他人の声などに過敏に反応する、一方で怪我をしてもわからないなど、痛みに鈍いことも
    5. 集団生活が難しい
  •  他人に迷惑をかけることから避難所には行けない。→ほとんどの親子が避難所に行けなかった。
  • 震災で生活リズムが崩れて基にもどるのが大変だった。
  • 緊急地震速報の音やトラックの揺れなどでフラッシュバック。
  • 震災時には地域の防災委員の声掛けがあって助かった。
  • 障がい児はサポートブックを持っている。
  • 福祉的なサポートを行える人がいると良い。

後半の意見交換会では、会場も交えて意見交換が行われました。

その中では、聴覚障がい者の方々などは、一見して障がい者ということがわからない。耳が聞こえないことがわかるようにビブスなどを着用してもらうと良いのではないか、避難所にそのような備えをしておいても良いのではないかといった意見が出されました。
また、腎臓病患者友の会では、会員の皆さん向けにの自助のためのパンフレットを配布されていることでしたが、そういった知識を支援者側も共有することが、正しい支援につながるのではないかといった意見交換も行われるなど、意見交換を通じて今後の活動につながるいくつものヒントを得ることが出来ました。

今回の会を通じて、改めていろいろな立場の人や団体が立場を超えてつながり、意見を交換することの大切さを感じました。
現状、支援する側もされる側も自分達の属するコミュニティの中だけで意見交換をしたり、実行したりする機会はいろいろとあるのですが、我々も含めて自分たちの価値観で物事を進めていることが多いのだと思います。
それぞれのコミュニティは大切にしつつ、互いを尊重しながら意見を交えることで、住みよい社会・災害に強い社会づくりを実現していけたらと思いますし、それがこの勉強会の役割だとも思います。

この勉強会を単なる勉強会に終わらせず、次なる一歩につなげるようにして行きたいと思います。

第3回長岡災害ボラセン勉強会「災害時の消防団との連携を考える」

第3回長岡災害ボラセン勉強会では「災害時の消防団との連携を考える」をテーマに、長岡市消防団の方々にお越しいただき、議論を深めました。

昨年、長岡市乙吉地区での水害の際には、消防団の方々が災害ボラセンに先駆けて現地に入り、復旧作業に当たっており、その後、それを引き継ぐ形で災害ボランティアが現地に入り活動を行いました。
しかし、消防団の方々も災害ボランティアセンターというものを認知しておらず、災害ボラセンスタッフも消防団の方々が復旧作業に当たるとは思っておらず、互いが互いの存在を知らなかったために必ずしも連携が上手く行われたという訳ではありませんでした。

そこで今回の勉強会は、まず互いの団体の組織体制や活動を良く知り、災害時における活動の連携を円滑かつ効果的に行えるようにすることを目的に開催しました。

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まず、長岡市消防本部より消防団の概要(各方面隊管轄区域、組織体制、報酬、災害時の連絡体制)についてご説明頂いた後、消防団の方から昨年7月豪雨の際に消防団がどのように動いたかについてお話しいただきました。
また、消防団の方々にも災害ボランティアセンターがどのような組織なのか、また災害時にどのように動くのかを知っていただくために、災害ボランティアセンターの概要についても説明させていただきました。

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この勉強会を通じて消防団について様々なことを理解することができましたが、中でも以下のようなポイントが連携を考える上で大切であると考えさせられました。

  • 消防団と消防署は別々の組織であり、消防団が消防署の指揮下に入るわけではなく、災害時などは必要に応じて双方の協議により役割をきめること。
  • 消防団の出動は、消防署、町内からの要請、消防団独自の三パターンがあり、豪雨などで消防団独自で出動を判断する場合は、各地域でここが溢れたら危ないというシグナルになるような河川等があり、その河川の状況などにより出動を判断するということ。
  • 消防団の任務は「火災の予防、警戒、鎮圧及び風水害その他災害の防御等の消防活動」であり、災害の復旧作業はその任務に含まれず、復旧作業を行う場合は、あくまでも自主的なボランティア活動と言うこと。

災害ボランティアセンターが消防団と上手く連携を図れたらと考えていた部分は、主に災害復旧作業に関わる部分であったわけですが、実はその部分は消防団の任務ではなく、地元消防団によるボランティア活動だったわけです。
また、消防団自体も、災害ボランティアセンターという存在を認識していなかったために、災害後の復旧作業において災害ボランティアセンターと協働出来るという認識も当然ありませんでしたので、昨年度は連携出来ないことが当然だったわけです。

当初、災害ボラセンとしては、消防団が任務として復旧活動に当たっていると考えていたので、組織間で仕組みとして上手く連携が図れると考えていたのですが、ボランティア活動となると、その連携のあり方も変わってくるわけで、消防団の方々にも災害ボランティアセンターの組織体制や仕組みを上手く知ってもらい、災害時には災害ボランティアとも連携協働して復旧作業に当たれるということを認識していただき、お互いに協力できる関係性作りが必要だということを共有することが出来ました。

今後、災害ボランティアセンターとしても消防団の方面隊長会議などの場に顔を出させていただきながら、災害ボランティアセンターについての認識を深めてもらうと共に、災害時には協働できる信頼関係や連絡体制を築いていきたいと思います。

第三回チーム中越勉強会が開催されました。

9月4日、「学生が地域にもたらしたもの-豊かさを問い直す-」と題して、第3回チーム中越勉強会が開催されました。

第3回の今回は、神戸から神戸大学の学生さんを中心とする中越・KOBE足湯隊の皆さんが中越を訪問されるのに合わせて実施したこともあり、関西や中越の被災地などで活動を行っている学生さんの活動発表と意見交換を中心に行われました。

最初に活動を報告してくれたのが、中越・KOBE足湯隊。足湯隊の活動の歴史や現在の取り組み、その中でのエピソードなどを話してくれました。足湯を通して聞くことのできる被災者のつぶやきから被災者の方々の状況を把握し、次なる支援に結びつけることが出来たり、話を聞くこと自体が被災者の方々の心ケアにもつながるなど、足湯には本当に様々な効能があるようです。

次は長岡技術科学大学のVolt of Nuts。震災を機に活動を始めた学生ボランティア団体、震災からの時間の経過とともに活動自体も変わりつつあるようですが、先輩達が残してくれた活動の「理念」これだけは今も脈々と受け継がれているようでした。

最後は中越学生勉強会わかば会の皆さんの発表。他の二団体と違い、研究の一環として地域の復興や振興に取り組んでいるのですが、地域の人たちとしっかりと向き合いながら、研究の枠にとらわれない活動を展開しています。

どの団体の活動も人とのつながりを大切にしながら行っており、上から目線ではなく地域の人としっかり向き合いながら活動を行っていく中で、学生の皆さん自身も大きな気づきを得られたり、自身の成長につながっているのかなと感じさせられました。

後半のワークショップでは、活発な意見交換が行われました。いつもの勉強会でも同じワークショップを行っているのですが、今回は参加者が全体的に若いからなのか、何なのか、非常に活気のあるワークショップとなりました。

また、ワークショップにおいて互いの意見を交換する事で、新たな気づきや発見も生まれたようでした。

普段は全く違った地域でまったく違う活動をしている人たちが集まり、そして意見交換をする。そして、そこから様々な新たな発見が生まれてくる。この多様性こそがひょっとしたらこの勉強会の別の強みなのかも知れません。

まだ、第4回の勉強会の詳細は決まっていませんが、次回も様々な人の出会いの場にも出来ればと考えていますので、どうぞよろしくお願いいたします。

第二回チーム中越勉強会

7月23日、第二回チーム中越勉強会をながおか市民センターにて開催いたしました。

二回目のチーム中越勉強会には、新潟県震災復興支援課の元課長、丸山由明氏に講師としてお越しいただき、
「復興支援のキーワード~行政支援のあり方~」と題してお話をいただきました。

話の前半は、震災発生前夜から震災直後の混乱期までの話をドキュメンタリー風に語って頂きました。
震災が発生した平成16年10月23日は、折しも新県知事が就任する2日前、つまり前県知事の任期がわずか一日余りを残してという時でした。
そのため、県の災害対策本部も発足当初は平山知事の基に設置され、25日の午前零時をもって泉田知事に引き継がれると言うドタバタの中で
震災への対応が行われていたと言うことです。県の職員も震災の対応やら県知事交代に対する対応やらで、一時的ではあったものの大混乱に陥ったそうです。
そんな混乱期の中、当時市町村課の課長補佐であった丸山氏は、県庁にいても始まらない、とにかく現場に出なければ何も出来ないとの
思いから上司を説得し、被災地へ出られたそうです。もともと長岡出身で土地勘があったことや市町村課で役場の職員と顔みしりだったと言うこともあり、
山古志役場の機能回復の支援に当たられ、その後、震災復興支援課が出来ると同時に、そちらに移られたとのことでした。

後半は「復興支援のキーワード」ということで、「対話の三極構造」「忠実な翻訳者」「復興とは?分かんない」「重層的支援体制」
「ごったくのすすめ」という五つのキーワードについてお話しいただきました。以下にその要約を記します。

対話の三極構造
震災復興支援課でも当初は現場に行って被災者の皆さんの「何とかして下さい」「何してくれますか」といった声を聞くので精いっぱいだった。行政としてもやれることは限られているし、何をしたら良いのかもわからない状態であり、ともすると行政と住民とが敵対関係になってしまう。そんな構造を変えたのが第三者の存在だった。
両者の間に入って、横から「そうは言ってもさぁ・・・」などと言いながら、話を上手くつないでくれる。そのうちに住民と行政が敵対関係でなくなり、一緒に話が出来るようになった。住民からの声が「何とかしてくれから」「何かしてみよう」に変わってきた。「対話の三極構造」がそんな変化を生みだしていった。

忠実な翻訳者
地域から出てくる「何かしてみよう」という言葉をただ「そうですか」と聞くだけではなく、それをまた返して上げる必要だった。つまり「俺はこんなに困っているのだけれども、こうしてくれたらやれるのになぁ」そんな言葉を上手く役所の言葉に直して事業として作る。それが翻訳者。そして、そこに役所の意向をなるべく入れずに、言われた通り「忠実」に翻訳すると言うこと、それが「忠実な翻訳者」。こういった事業をどんどん作って、それを皆さんに示して事業化を実際にどこかで行う。これが口づてで広まっていき、見に来て、うちでもやろうということが起こって、復興の機運がここから加速度的に高まったのだと思う。

復興とは?分かんない
復興計画というローリングプランに基づいて復興を進めて行くことになった。ローリングプランと言っても、実際には復興ビジョンがある程度でほとんど白紙。つまり計画を作りながら走れと言うことで、行政にはとても酷なものだった。それでも最初は復興とはこういうものだろうと考えて走っていたが、途中であきらめた。「復興はこうあるべきだと考えるのは止めようと」「何が復興なのか分からないと」「いろいろなところでいろんなことが起こっているけれども、その先、5年後、10年後にどうなるかはまずは分からないところから行こうじゃないか」と、でもそんな風に走っていると小さな事だけれども、だんだんと復興の芽が見えるようになってきた。当時はそれを糧に走っていた。そして、今の時点で振り返ると、あの時想像していなかったことが沢山起きている。

重層的支援体制
当初、復興支援と言うのは個人プレーで、それぞれの人の顔で行っていた感があった。ただ、それでは広がりが持てない。その広がりを持たせるために作ったのが今の地域復興支援員制度だった。今回の復興支援の中で、現場から中間支援、行政、そしてNPOやNPOの連合体のようなものが重層的に支援を行っていた。それが今回復興の中の目玉なのではないかと思う。

ごったくのすすめ
だいぶ集落は元気になってきたが、まだ人口は減るばかりだし、もっと「元気を現金に」変えていく必要がある。そういう意味では、何万人を相手にするのではなく、二、三千人の特定の人を相手にする、つまり、二つ三つの地域との差別的なスペシャルな付き合いをしていくのがポイントになるのではないか、そういったことを続けて行くことによってそこの人たちが移り住むと言った事も出てくるかもしれないし、あるいは棚田で取れた米を全国に売り出すのではなくて、あんたたちのためにずっと俺達が作ると言った方が良いのではないかと思う。
「面倒くさくて嫌だったのだけれど復興と言うことがあったのでやってみたら、何か昔のお祭りが復活したぞ」とか、そういうことが起こってきた。要はまさに「ごったく」で、やってみたら楽しかったといったようなこと。それをお金につなげていけたらなというのが課題で、まさに支援員はそういったところをバックアップしていかなければいけないのではないかと思う。

講演終了後、勉強会参加者でワークショップを実施しました。ワークショップでは前回と同様に講演会を通して「聞いたこと」「感じた事」「出来ること」について、グループでシェアしていただきました。
次回、9月8日の第三回のチーム中越勉強会では、神戸から「中越・神戸足湯隊」の皆さんをお招きして、足湯を通した復旧・救援活動についてお話頂く他、長岡技術科学大学のボランティアサークルVolt of Nutsの皆さんや中越の学生勉強会の皆さんから、日頃の活動についての発表などもしていただく予定です。これまでのチーム中越勉強会とは若干趣向が異なりますが、多くの皆さんに参加していただけたらと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

第一回チーム中越勉強会が開催されました。

6月16日第一回チーム中越勉強会が開催されました。
このチーム中越勉強会、中越が過去に受けた7.13水害、中越地震、中越沖地震からの復興の過程で活躍した方々を
「災害を通してみた地域づくりから国際協力へ」と題してお話を頂きました。
中越地震の混乱時において、どのような問題が発生し、それをどのように解決していったのか、また、その経験を
その場限りのものにするのではなく、異なる地域や次世代に結び付けるために、どのような活動を行っているかなど、
非常に示唆に富むお話を頂きました。

また、後半のワークショップでは、羽賀さんのお話を受けて「聞いたこと」「感じた事」そして「自分で出来ること」を
参加者の皆さんに発表していただきました。
この参加者の皆さんに発表いただいた意見も、十人十色の見方があって、新たな発見を得る事ができました。
羽賀さんのお話も大変勉強になるものでしたが、それを受けて「聞いたこと」「感じた事」そして「自分で出来ること」を
共有することの大事さを感じさせられました。
ただ、これをこの場の「共有」に留めることなく、何とか次のステップである「協働」につなげていきたいと思います。

チーム中越では、これから毎月このような勉強会を実施し、中越の復興の知見を皆さんと共有し、それを中越の地域づくりや
次なる被災地の復興へと結び付けて行きたいと考えています。
ちなみに次回は新潟県の震災復興支援課課長(当時)の丸山由明氏を講師としてお迎えし、第二回の勉強会を開催する予定です。
チーム中越勉強会の意義
このチーム中越、いろんな方がこう参集してくださっているんですが、みんな誰が一体何をしているのか誰も知らないのですよ。
みんなそこそこのことはやっているんです。一度それを共有してチーム中越として何が出来るのかを考えていきたいなと。
ですから、ひとつは問題提起というかその人がやった話を聞いて、そこから学びながら我々がワークショップ型でやって今後自分が
どう動いたらよいのかというヒントを作りながら、大きなプラットフォームに乗せていく、その作業がチーム中越ではないかなと思っています.