東北地方太平洋沖地震 支援募金活動を開始いたしました

東北地方太平洋沖地震で被災された方々に心からお見舞い申し上げます。

国際復興支援チーム中越では、東北地方太平洋沖地震による被災地
復興支援のための募金活動を開始いたしました。

ながおか市民センター1階の地球広場に募金箱を設置させていただいた他、
賛同団体の協力を得ながら各地で募金活動を展開します。

被災地の一日も早い復旧・復興に少しでもお役に立てればと考えておりますので、
ご協力の程、どうぞよろしくお願いいたします。

なお、集まった募金は被災された方々の復興支援活動のために役立てます。
また、送り先につきましては、中越の経験より中長期の被災地の復興に役立つよう、
送り先を熟考した上でお渡しし、結果を皆様にご報告いたします。

2011年3月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : chuetsu-bousai

オーストラリア水害・ニュージーランド地震・新燃岳噴火災害 支援募金活動を開始いたしました。

国際復興支援チーム中越では、オーストラリア水害・ニュージーランド地震・新燃岳噴火災害による被災地の復興支援のための募金活動を開始いたしました。

ながおか市民センター1階の地球広場に募金箱を設置させていただいた他、賛同団体の協力を得ながら各地で募金活動を展開します。

被災地の一日も早い復旧・復興に少しでもお役に立てればと考えておりますので、ご協力の程、どうぞよろしくお願いいたします。

なお、集まった募金は宮崎県・オーストラリア・ニュージーランドの被災地に按分してお届けし、被災された方々の復興支援活動のために役立てます。また、送り先につきましては、中越の経験より中長期の被災地の復興に役立つよう、送り先を熟考した上でお渡しし、結果を皆様にご報告いたします。

2011年3月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : chuetsu-bousai

佐用町竹炭祭りに参加してきました。

2月10日から2月13日までの4日間にわたって、一昨年水害に襲われた兵庫県佐用町へ行ってきました。

今回の訪問の目的は、佐用町で行われた「炭を活かした福祉と防災のまちづくりシンポジウム」と「復興支援佐用町竹炭祭り」に参加するためです。

一昨年の水害で大きな被害を受けた佐用町ですが、その際に浸水したお宅の除湿・脱臭のために床下に入れる炭が全国各地から送られました。その後、佐用町において自前で炭を作れないか、また、炭を作ることが山の手入れにもつながり、治山、治水にもつながるということで、災害復興に携わっていた学生さんや地元の炭焼きさんを中心に竹炭つくりが行われてきました。

今回は国際復興支援チーム中越として、私たちの他に長岡大学や長岡技術科学大学の学生さんも一緒に参加してきました。

シンポジウムでは、佐用町の庵逧町長から「『やま』と『かわ』から守る作用のまち」と題して基調講演が行われた後、水害の際に佐用町へ
炭を送った全国の団体よりそれぞれの活動報告が行われました。

発表団体は、私たちチーム中越のほか、それぞれ炭を焼いている中学校や福祉施設、それに佐用町で炭焼きをしている学生団体などです。
炭焼きの世界でもなかなかこのような多種多様な団体が発表しあい、交流をもつ場はないのですが、それにプラスして福祉や防災をも考える本当に
貴重な場になりました。
「これからもこういう会を続けていきたい」「各地を転々としながら開催したら面白いのでは」といった声も上がっていましたが、ぜひこういった
交流を末永く続けていきたいものです。

また、竹炭祭りでは、炭焼きコンテスト(アイデア部門と炭焼き部門)も行われました。

炭焼き部門では、学生グループの4団体が10日から3日間にわたって炭焼きをし、その結果を競ったのですが、不測のトラブルなどもあり、
残念ながら栄冠を勝ち取ることはできませんでした。

しかし、アイデア部門では、わが国際復興支援チーム中越の長岡大学の学生が考案した竹炭カレーのアイデアが他を抑えて見事勝利を勝ち取りました。
長岡大学の学生さんたちは、前日4時まで頭を絞って考えたということで、その執念が実ったということでしょうか。
ぜひ、このアイデアをアイデア止まりにすることなく、長岡で実現させてもらいたいものです。

今回の竹炭祭りならびにシンポジウムへの参加。炭焼きの更なる可能性を感じさせられるとともに、炭を通じてまた新たなつながりもできてきました。
こういった新たなつながりを活かしつつ、炭焼きと防災と福祉といった新たな可能性を切り開いていきたいと思います。

「炭は地球を救う」炭焼きの杉浦先生の言葉ですが、環境の面でも、防災や福祉の面でもぜひこの言葉を現実のものにしていきたいものです。

2011年2月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : chuetsu-bousai

チーム中越勉強会「子ども達が描く「心の復興」」を開催しました

1月17日に国際復興支援チーム中越勉強会を開催しました。
今回は、未来予想図実行委員会代表の下條茂さんより「描くことから始まる「心の復興」」と題して、実際に行っている「絵画療法」を交えて講演して頂きました。

<講演要約>
きっかけは、仮設住宅へのチラシ配り
未来予想図を描くきっかけになったのが、私が復興時の毎月16日に仮設住宅や学校に配っていたチラシです。
手書きので描いた(A4)サイズチラシを貼り合わせて(A3)にして毎月16日に、仮設住宅の約1600軒に配っていました。
チラシは1600軒の人たちの顔を見に行きたかったので、一軒一軒配りました。1600軒を1軒1軒回ることにも意味があり、
まわり続けることがとても大事なのです。なぜならば、先月と今月でこの方はどういう風に、体調が変わっているかがわかります。
先月よりも体調が良い、や、先月よりも顔色悪い、先月よりもこの子どもは元気がないなど、それがとても知りたかったのです。
だからチラシ「はちどり通信」は持っていくためにツールの一つです。一軒ずつお顔を見て、お話をして、今何が必要なの?
というのをフィードバックして、それを行政に上げることをやりました。

絵画療法
絵画療法というのとただ「絵を描く」というのは、いろんな意味合いが少し違うことを知っていただきたいと思います
。絵画療法で、大事なのは療法という名前を付けた瞬間に医療になのです。要は、結果を求められるのです。
もちろん絵を描くことで始まることも大事で、絵を描くことでいろいろなことが起きてきます。ただ療法とついただけできちんとやっていかなければいけないのです。

↑今回は参加者のみなさんに絵画療法を理解してもらうために、3枚の絵を描いてもらいました。最初に、自分が悪い時の状態をイメージして
絵を描いて、2枚目では、よい状態を思い浮かべ、最後に悪い状態をよい状態にするにはどうしたらいいかという絵を描いてもらいます。
その後に、2人ペアになって一方が絵について質問をし他方がその絵の説明をします。

絵画療法は人
絵画療法で一番大事なのが”人”なんです。絵画療法を成功させるかどうかは”人”なのですね。ようは、きちんと絵について聞いてあげることが
必要なんです。どんな絵なの?なに描いたの?でいいんです。そこで始めて子どもが人に認めてもらったり、人に承認されたりして次のステップに移れるのです。
描いただけだと、その時で終わってしまのですけど第三者に話す事でいろいろな解放ができてきます。

日本の子ども達の描く未来予想図
「未来予想図を描いて」と言ったら、私たちが小学生のころはアトムやタイガーマスクの世界でした。
なので本当に”夢”を描けと言われれば夢を描きます。しかし、柏崎の子どもたちが描いた絵は、
「大自然いっぱいの街になればいいな」や「ずっと友達と仲良くしてしたいな」といった未来予想図だったんです。
震災で経験した様々な不安から友達と一緒にいればいいなという風なことを描いたんですね。これが子ども達の未来予想図なんですね。
感動というか度肝を抜かれたというか。絵画療法を普段から取り入れていれて医療を行っている人間として、信じられなかったのです。
子どもの夢というのがこんな小さい、当たり前のことに感動したのです。

世界の子ども達の描く未来予想図
フィリピンの子ども達は”木”を描くことが多いんです。
日本の住宅の材料になっているラワン材という木は、その昔、フィリピンのルソン島で伐採された輸入の材木を使っていることが多かったんですね。
お金になるからと言って全部日本に売って、それではげ山になってしまったんです。
その結果、雨が降ると土砂崩れが起きてしまうのです。自然災害と思われることが、実は日本が輸入してお金に変えてしまったことで
起きた人災なんじゃないかという現実がありました。私もフィリピンに行った時にそれを聞いてショックを受けました。
そして子どもたちは、もろに受けていて、その影響で山に木を植えたい、緑を戻したいと切に願っています。

自律支援と自立支援

私は、自立支援と自律支援の2種類使っているんですが、自律神経の自律と言うのは筋肉の状態をキチンとする状態で、医学的な支援なんです。
自立というのは、その子どもたちが立っていく支援で自分たちで動く事だと思うんです。その両方をしないといけないんだなということ思います。
ボランティア三原則がありますが、無理をしない、被災者本位、地元主体というものがあります。
やっぱり、支援する相手側にとってなにが大事かを特に考えるようにしています。

講演後参加者全員で感想をシェアしました。

「伝えることだけでも何かが変わる大きなきっかけになるんではないかということが自分にも共通して大事だと思いました。」や、
「絵からあれだけのことが読み取れるというのは私初めての体験でした。いろいろなものがあそこにつまっているんだということが詰まっているんだと思いました。
」などの話ありました。
「自律支援と自立支援」「支援する相手側にとってなにが大事かを特に考える」など、私たちの活動でも数々の忘れてはいけない事をお聞きすることができました。
この講演を聞いてこれからもチーム中越では勉強会を開催いたしますのでどうぞよろしくお願いします。

2011年1月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : chuetsu-bousai

留学生は日本と海外との「掛け橋」-国際留学生フォーラム-

11月27日、長岡商工会議所において国際留学生フォーラム2010「Steal the BOSAI!!-NipponのBOSAIを学べ-」が開催され、
長岡市内を中心に留学生、日本人学生、青年海外協力隊OBOGや一般市民の方々など、計60名ほどの皆さんが参加されました。

冒頭、中越防災安全推進機構事務局長の山口から主催者挨拶がなされましたが、この国際留学生フォーラム、機構が行うようになってからは
今回でまだ3回目ですが、北陸建設弘済会が実施していた時から数えるとその実施回数は実に20回に及ぶそうです。まさに継続は力なりといったところでしょうか。

今回のフォーラムの基調講演は、長岡市国際交流センターのセンター長である羽賀さんより「多様性を活かすシステムとは」という
テーマで行っていただきました。日本は災害大国であり防災大国であるからもっと防災について海外に伝えられることがあるのでは、
また、留学生を通じて私たち日本人が当たり前だと思っていることの素晴らしさを再認識させられることがある、そして日本での留学生との
交流が将来的には国際協力に結び付く可能性があるのでは、といったお話を頂きました。

パネルディスカッションには、フィリピンの環境NGOコーディリエラ・グリーン・ネットワーク代表で長岡市出身の反町真理子さん、
パキスタン出身で東京医科歯科大学大学院生のアリさん、同じく医科歯科大学大学院生でインドネシア出身のメリッサさん、
そして東京医科歯科大学特任教授で元JICA国際緊急援助隊事務局長の吉田丘さんにパネリストとしてご参加いただき、議論を行いました。

パネルディスカッションの冒頭、パネリストの皆さんの自己紹介に加えて、問題提起としてアリさんより、パキスタンの実状の他、日本の優れているところを「食」という切り口から発表していただきました。
私たちが普段口にしている日本食ですが、低カロリーで栄養価は高いなど医学の面からみても優れている他、味噌などの調味料は常温でも備蓄が可能であることから、防災の面でも優れている、さらには伝統的な日本食は肉を使っていないためにイスラムの人たちにとってもほとんど問題ないと言うことで、是非ともパキスタンに紹介したいと言うことでした。また、そういったことから観光と言った視点でも食べ物に困らない日本は魅力的だといった発表を頂きました。本当に外部者ならではの目のつけどころと言って良いのではないでしょうか。

また、インドネシア出身のメリッサさんからは、インドネシアでの火山災害の実状について報告そしていただいた他、日本は何事をするにも準備をしっかりとする点が素晴らしい。といった海外の視点から見た日本の魅力についても発表してもらいました。

そういった留学生のお二人からの議論をきっかけに、パネルディスカッションでは

・留学生から見た日本の魅力、日本の知恵
・日本の魅力・知恵、海外でいかすためには
・留学生に日本をもっと理解してもらうために、私たち日本人ができること

といった論点を中心に会場も巻き込んで議論を展開していただきました。

「雪があるから長岡に来た」という会場の留学生の発言には、会場の日本人の皆さんは一様に驚いていたようですが、
これこそが留学生の持つ外部者としての視点なのでしょう。私たちが当たり前に思っていること、それを良い意味で壊して、
気づきをもたらしてくれるのが留学生なのかもしれません。
また、「留学生との交流を通して様々なことを教えられた、また日本文化について考えさせられた」と言う日本人学生の発言もありました。

異質なもの同士が触れ合うからこそ見えてくることがある。そういった意味では二つの国を知っている留学生と言う存在は非常に
大きい存在であると言えるのではないでしょうか?ただ、日本人と留学生の間に交流がなければそこには何も生まれません。

この日、留学生から聞かれた「日本と祖国の掛け橋になりたい」との言葉。
こういった声を私たち日本人はもっとしっかりと受け止めなければならないと思いますし、こういった留学生に日本をもっと良く知ってもらうことが、
将来的には日本の国際協力や外交の上でも大事なのではないでしょうか。

今回の留学生フォーラム、「防災」というテーマにとどまらず、会場を巻き込んで非常に良い議論が出来たのではないかと思います。
ただし、このフォーラムは本当にきっかけにすぎません。この日参加してくれた一人一人がどのように日本人と留学生の壁を取り払うために行動できるのか。
特に日本人の私たちにとっては留学生にどうやって日本を理解し好きになってもらうか、これは非常に大きなテーマだと思います。
留学生に日本とそれぞれの「掛け橋」になってもらうために。
最後にパキスタン出身のアリさんに国際復興支援チーム中越で集めさせていただいた募金5万円を贈呈させていただきました。

なお、募金の現地での使途などについては、また後日アリさんより報告していただける予定です。

2010年11月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : chuetsu-bousai

第三回チーム中越勉強会が開催されました。

9月4日、「学生が地域にもたらしたもの-豊かさを問い直す-」と題して、第3回チーム中越勉強会が開催されました。

第3回の今回は、神戸から神戸大学の学生さんを中心とする中越・KOBE足湯隊の皆さんが中越を訪問されるのに合わせて実施したこともあり、関西や中越の被災地などで活動を行っている学生さんの活動発表と意見交換を中心に行われました。

最初に活動を報告してくれたのが、中越・KOBE足湯隊。足湯隊の活動の歴史や現在の取り組み、その中でのエピソードなどを話してくれました。足湯を通して聞くことのできる被災者のつぶやきから被災者の方々の状況を把握し、次なる支援に結びつけることが出来たり、話を聞くこと自体が被災者の方々の心ケアにもつながるなど、足湯には本当に様々な効能があるようです。

次は長岡技術科学大学のVolt of Nuts。震災を機に活動を始めた学生ボランティア団体、震災からの時間の経過とともに活動自体も変わりつつあるようですが、先輩達が残してくれた活動の「理念」これだけは今も脈々と受け継がれているようでした。

最後は中越学生勉強会わかば会の皆さんの発表。他の二団体と違い、研究の一環として地域の復興や振興に取り組んでいるのですが、地域の人たちとしっかりと向き合いながら、研究の枠にとらわれない活動を展開しています。

どの団体の活動も人とのつながりを大切にしながら行っており、上から目線ではなく地域の人としっかり向き合いながら活動を行っていく中で、学生の皆さん自身も大きな気づきを得られたり、自身の成長につながっているのかなと感じさせられました。

後半のワークショップでは、活発な意見交換が行われました。いつもの勉強会でも同じワークショップを行っているのですが、今回は参加者が全体的に若いからなのか、何なのか、非常に活気のあるワークショップとなりました。

また、ワークショップにおいて互いの意見を交換する事で、新たな気づきや発見も生まれたようでした。

普段は全く違った地域でまったく違う活動をしている人たちが集まり、そして意見交換をする。そして、そこから様々な新たな発見が生まれてくる。この多様性こそがひょっとしたらこの勉強会の別の強みなのかも知れません。

まだ、第4回の勉強会の詳細は決まっていませんが、次回も様々な人の出会いの場にも出来ればと考えていますので、どうぞよろしくお願いいたします。

第二回チーム中越勉強会

7月23日、第二回チーム中越勉強会をながおか市民センターにて開催いたしました。

二回目のチーム中越勉強会には、新潟県震災復興支援課の元課長、丸山由明氏に講師としてお越しいただき、
「復興支援のキーワード~行政支援のあり方~」と題してお話をいただきました。

話の前半は、震災発生前夜から震災直後の混乱期までの話をドキュメンタリー風に語って頂きました。
震災が発生した平成16年10月23日は、折しも新県知事が就任する2日前、つまり前県知事の任期がわずか一日余りを残してという時でした。
そのため、県の災害対策本部も発足当初は平山知事の基に設置され、25日の午前零時をもって泉田知事に引き継がれると言うドタバタの中で
震災への対応が行われていたと言うことです。県の職員も震災の対応やら県知事交代に対する対応やらで、一時的ではあったものの大混乱に陥ったそうです。
そんな混乱期の中、当時市町村課の課長補佐であった丸山氏は、県庁にいても始まらない、とにかく現場に出なければ何も出来ないとの
思いから上司を説得し、被災地へ出られたそうです。もともと長岡出身で土地勘があったことや市町村課で役場の職員と顔みしりだったと言うこともあり、
山古志役場の機能回復の支援に当たられ、その後、震災復興支援課が出来ると同時に、そちらに移られたとのことでした。

後半は「復興支援のキーワード」ということで、「対話の三極構造」「忠実な翻訳者」「復興とは?分かんない」「重層的支援体制」
「ごったくのすすめ」という五つのキーワードについてお話しいただきました。以下にその要約を記します。

対話の三極構造
震災復興支援課でも当初は現場に行って被災者の皆さんの「何とかして下さい」「何してくれますか」といった声を聞くので精いっぱいだった。行政としてもやれることは限られているし、何をしたら良いのかもわからない状態であり、ともすると行政と住民とが敵対関係になってしまう。そんな構造を変えたのが第三者の存在だった。
両者の間に入って、横から「そうは言ってもさぁ・・・」などと言いながら、話を上手くつないでくれる。そのうちに住民と行政が敵対関係でなくなり、一緒に話が出来るようになった。住民からの声が「何とかしてくれから」「何かしてみよう」に変わってきた。「対話の三極構造」がそんな変化を生みだしていった。

忠実な翻訳者
地域から出てくる「何かしてみよう」という言葉をただ「そうですか」と聞くだけではなく、それをまた返して上げる必要だった。つまり「俺はこんなに困っているのだけれども、こうしてくれたらやれるのになぁ」そんな言葉を上手く役所の言葉に直して事業として作る。それが翻訳者。そして、そこに役所の意向をなるべく入れずに、言われた通り「忠実」に翻訳すると言うこと、それが「忠実な翻訳者」。こういった事業をどんどん作って、それを皆さんに示して事業化を実際にどこかで行う。これが口づてで広まっていき、見に来て、うちでもやろうということが起こって、復興の機運がここから加速度的に高まったのだと思う。

復興とは?分かんない
復興計画というローリングプランに基づいて復興を進めて行くことになった。ローリングプランと言っても、実際には復興ビジョンがある程度でほとんど白紙。つまり計画を作りながら走れと言うことで、行政にはとても酷なものだった。それでも最初は復興とはこういうものだろうと考えて走っていたが、途中であきらめた。「復興はこうあるべきだと考えるのは止めようと」「何が復興なのか分からないと」「いろいろなところでいろんなことが起こっているけれども、その先、5年後、10年後にどうなるかはまずは分からないところから行こうじゃないか」と、でもそんな風に走っていると小さな事だけれども、だんだんと復興の芽が見えるようになってきた。当時はそれを糧に走っていた。そして、今の時点で振り返ると、あの時想像していなかったことが沢山起きている。

重層的支援体制
当初、復興支援と言うのは個人プレーで、それぞれの人の顔で行っていた感があった。ただ、それでは広がりが持てない。その広がりを持たせるために作ったのが今の地域復興支援員制度だった。今回の復興支援の中で、現場から中間支援、行政、そしてNPOやNPOの連合体のようなものが重層的に支援を行っていた。それが今回復興の中の目玉なのではないかと思う。

ごったくのすすめ
だいぶ集落は元気になってきたが、まだ人口は減るばかりだし、もっと「元気を現金に」変えていく必要がある。そういう意味では、何万人を相手にするのではなく、二、三千人の特定の人を相手にする、つまり、二つ三つの地域との差別的なスペシャルな付き合いをしていくのがポイントになるのではないか、そういったことを続けて行くことによってそこの人たちが移り住むと言った事も出てくるかもしれないし、あるいは棚田で取れた米を全国に売り出すのではなくて、あんたたちのためにずっと俺達が作ると言った方が良いのではないかと思う。
「面倒くさくて嫌だったのだけれど復興と言うことがあったのでやってみたら、何か昔のお祭りが復活したぞ」とか、そういうことが起こってきた。要はまさに「ごったく」で、やってみたら楽しかったといったようなこと。それをお金につなげていけたらなというのが課題で、まさに支援員はそういったところをバックアップしていかなければいけないのではないかと思う。

講演終了後、勉強会参加者でワークショップを実施しました。ワークショップでは前回と同様に講演会を通して「聞いたこと」「感じた事」「出来ること」について、グループでシェアしていただきました。
次回、9月8日の第三回のチーム中越勉強会では、神戸から「中越・神戸足湯隊」の皆さんをお招きして、足湯を通した復旧・救援活動についてお話頂く他、長岡技術科学大学のボランティアサークルVolt of Nutsの皆さんや中越の学生勉強会の皆さんから、日頃の活動についての発表などもしていただく予定です。これまでのチーム中越勉強会とは若干趣向が異なりますが、多くの皆さんに参加していただけたらと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

第一回チーム中越勉強会が開催されました。

6月16日第一回チーム中越勉強会が開催されました。
このチーム中越勉強会、中越が過去に受けた7.13水害、中越地震、中越沖地震からの復興の過程で活躍した方々を
「災害を通してみた地域づくりから国際協力へ」と題してお話を頂きました。
中越地震の混乱時において、どのような問題が発生し、それをどのように解決していったのか、また、その経験を
その場限りのものにするのではなく、異なる地域や次世代に結び付けるために、どのような活動を行っているかなど、
非常に示唆に富むお話を頂きました。

また、後半のワークショップでは、羽賀さんのお話を受けて「聞いたこと」「感じた事」そして「自分で出来ること」を
参加者の皆さんに発表していただきました。
この参加者の皆さんに発表いただいた意見も、十人十色の見方があって、新たな発見を得る事ができました。
羽賀さんのお話も大変勉強になるものでしたが、それを受けて「聞いたこと」「感じた事」そして「自分で出来ること」を
共有することの大事さを感じさせられました。
ただ、これをこの場の「共有」に留めることなく、何とか次のステップである「協働」につなげていきたいと思います。

チーム中越では、これから毎月このような勉強会を実施し、中越の復興の知見を皆さんと共有し、それを中越の地域づくりや
次なる被災地の復興へと結び付けて行きたいと考えています。
ちなみに次回は新潟県の震災復興支援課課長(当時)の丸山由明氏を講師としてお迎えし、第二回の勉強会を開催する予定です。
チーム中越勉強会の意義
このチーム中越、いろんな方がこう参集してくださっているんですが、みんな誰が一体何をしているのか誰も知らないのですよ。
みんなそこそこのことはやっているんです。一度それを共有してチーム中越として何が出来るのかを考えていきたいなと。
ですから、ひとつは問題提起というかその人がやった話を聞いて、そこから学びながら我々がワークショップ型でやって今後自分が
どう動いたらよいのかというヒントを作りながら、大きなプラットフォームに乗せていく、その作業がチーム中越ではないかなと思っています.

「国際復興支援チーム中越」の活動報告会が開催される

3月22日、長岡大学において「国際復興支援チーム中越」の活動報告会が長岡大学で実施され、約20名の皆さんが参加されました。
報告会の第一部「チーム中越のあゆみ」では、中越地震の際に中越が受けた支援やその後の復興の様子、
そしてそれ以降に中越の皆さんが行った国内外の被災地に対する支援活動についての報告が行われました。

長岡技術科学大学のボランティアサークルの学生からは、中越震災を契機にサークルが誕生し、その後、様々な活動を行っていく中で
逆に地域からいろいろな気づきや学びをもらったことなどについて報告がなされました。また、その他の参加者からも他の被災地の復興支援
に関わることで、支援をする側が逆に元気をもらったり、その中で地域活動の主体性が生まれたりという被災地との交流から生まれた様々な
動きや効果についても報告が行われました。?

長岡大学の留学生の皆さんからは、四川地震の際に行った募金活動の話や、それを契機に今までなかった中国人留学生と日本人学生の
間で交流が始まったことについて報告がなされました。特に「四川地震が起こる前までは日本人とはまったく交流がなく、自分が日本に来た
ことを後悔すらしていた。しかし、地震の募金を通して日本人の暖かい心に触れ、それからの日本での学生生活が本当に有意義なものになった。
今は日本に来てよかったと思える」という言葉は本当に印象的でした。

この報告会で発表いただいた活動は、必ずしも「チーム中越」として組織的に行った活動ではありません。しかし私たちは中越の皆さんが
自発的に行った被災地支援の活動全てが「チーム中越」の活動につながるのだと考えています。?

第二部の「チーム中越のこれから」では、チーム中越代表の羽賀さんより「チーム中越ってなあに?」と題して講演いただきました。

まず冒頭に復旧と復興の違いについてお話しいただき、その中で、復旧は災害前の状態に
戻すことで、復興とは災いを転じて福となすこと、すなわち災害をチャンスとなすことであり、
私たち中越はこの「復興」を他の被災地に発信していく責務があるとのお話をいただきました。
つまり、中越が復興の過程を通して得た知見を形式知化して後世や他の被災地のために
残すことが重要であり、同時に次世代のファシリテーター育成や多様な分野の人と人を結ぶ
プラットフォームを構築することが大切であると述べられました。
チーム中越では、今後それらを目的とした中越○○塾を毎月開催していきたいと考えています。

第三部では今年1月に「チーム中越」として(社)中越防災安全推進機構が実施した
フィリピンの水害復興支援の事前調査についての報告がなされました。
現在の被災地の状況について報告がなされた他、チーム中越の支援の可能性や、
そのためには前述のように中越の知見を改めて形式知化し発信していくことが大事で
あることが確認されました。

このように今回の「国際チーム中越活動報告会」では、単に中越の被災地支援のあゆみを
振り返るだけでなく、被災地支援の重要性やその効果を明らかにすることが出来た上、
今後チーム中越が目指すべき道も明確にすることが出来るなど、非常に意味のある
報告会となりました。

2010年3月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : chuetsu-bousai

チーム中越募金活動

10月16,17日に実施された「防災・安全・復興に関する国際シンポジウム」において、スマトラ沖地震・サモア地震・フィリピン
水害復興支援のための募金活動が、チーム中越によって実施されました。

16日はホテルニューオータニNCホールにおいて長岡大学の学生さんが、17日には長岡技術科学大学の会場において長岡大学と
長岡技術科学大学の学生さんが、チーム中越の一員として募金活動を実施しました。
この募金活動には、日本人の学生だけでなく沢山の留学生の皆さんにもご協力頂きました。
他国の被災地支援のためにも国境を越えて協力し合う、まさに「絆は国境を越えて」を地で行く活動となりました。

この日集まった募金額は、58,371円。全国からシンポジウムにお集まりいただいた皆さんから多くのご支援を頂きました。
また、同じく17日に行われた災害ボランティア議員連盟の総会においても、13,721円のご寄付を頂きました。
皆さまのご協力、本当にどうもありがとうございました。

集まった募金は、11月末に集計をして、各被災地へ送らせていただく予定です。

チーム中越では、引き続き各地の賛同団体と連携を図りながら、被災地支援のための募金活動を実施していきます。
引き続きチーム中越の活動にご理解とご協力の程、よろしくお願いいたします。

2009年10月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : chuetsu-bousai